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日記

「自分を好きになる」というフレーズへの反発 ~「ありのまま」ってなんやねん~

 

前回、「自己肯定感」「自尊心」「自己愛」の記事を書いていて、

「やっぱり“自分を好きになる”って私はなじまないな~」と思ったので、

今日は「自分を好きになる」「ありのままの自分を大切に」というフレーズに対する

寝子の反感をつづるただの日記です!

 

スピリチュアル

本題に入る前に、一言…。

 

私はもともと「自分を好きに」「ありのままの自分を大切に」などに対して、

素直に受け入れられるタイプではありませんでした。

 

ただ、今も嫌悪感を抱いてしまうことになっている他の要因に「自称スピリチュアラー」の存在があります。

 

「自称スピリチュアラー」はですね、ときに「心理カウンセラー」とも名乗って

私たち心理士からすると目に余るようなエセ情報を広めていたり、

心理学の一部分をまるで万能かのように謳っていたり、

そもそも言っている心理学的知識が間違っていたり、

そりゃあもう、目にあまるったらないのです。

 

そういった「自称スピリチュアラー」がことさら叫んでいる言葉が

 

 

「自己肯定感」

 

「ありのままの自分を大切に」

 

「自分らしく」

 

 

です。

 

「自己肯定感」「ありのまま」「自分らしく」という言葉自体に罪はないのですけど、

認知的不協和で、一緒に反発をもってしまう寝子です笑。

 

「スピリチュアル」という言葉にも何も罪はありません。

 

そもそも「スピリチュアル」というのは「実存的」と訳されることが多いです。

「実存的」とは哲学になってしまうので、よく意味がわからないのですよね。

 

なので、「スピリチュアル」とそのまま用いられ、横文字と響きで、なんとなく特別なパワーみたいに勘違いしますが、違います

 

「スピリチュアル」とは、心理や精神医学の視点からは「価値観」というのが最も近いと思います。

 

 

さぁ!みなさま!!どうか騙されないように!!

 

「スピリチュアル」とは「価値観」だ!

 

「目に見えない力を信じる」とか「自分だけに引き寄せが起きるパワー」とかなんかじゃないんだぞ~~~~!!!!!!

 

 

本題に

脱線しましたが笑、「自称スピリチュアラー」に対して、僭越ながら注意を述べた上で、

私が感じ続けている「自分を好きに」に対する気持ちを書きたいと思います。

 

「自分を好きに」なることは少し必要だとは思います。

 

でも、そんなに自分のこと好きにならないといけないのでしょうか?

 

そんなことないと思うのです。

 

「自己肯定感」についても、そんなに強調することではないと思うのですが、

ただ、「自己肯定感」は確かに必要だと思います。

だからこそ、私は「自己肯定感」は「自分を好きになることではない」と言い続けたいと思っています。

 

自分のことを、好きとか嫌いとか、どうでもいいのではないかと思うのです。

 

「自分が嫌い」という状態も、自分に関心が向きすぎている気がします。

 

「ありのまま」「自分らしく」というのも、

そもそも「ありのままの自分」「自分らしく」って、一体どういう状態なのか、どれほどの人が分かるのでしょうか。

 

「これが自分にとって自分らしいのだ!」と分かっている人は、もうそれで良いと思いますし、

分からない人たちにそんな曖昧な状態を目指せと勧める意味がよくわかりません。

 

さらにいうと、「ありのままじゃない自分」はダメなのでしょうか?「自分らしくない」ってダメなのでしょうか?

 

そんなことないと思います。

 

なんというか、「自分」そのものに対して、

「ありのまま」などの1つの枠みたいな概念や「好き嫌い」といった感情的な好みで、全体を捉えようとすることに、何か違和感を感じます。。。

 

「好き」は理屈じゃない

食べ物や趣味や音楽などに対して「好き」「好きじゃない」と思うときって、理屈じゃないですよね。

「~だから」という理由があったとしても、それは後付けで、心惹かれる事柄に理屈はないと思います。

 

自分に対してもそうなのかもしれないと思います。

 

「自己肯定感!自己肯定感!!」「自分を好きに!自分を好きに!!!」と意図的に迫ってなれるものじゃないという気がします。

 

普段はあまり考えていない

好きな食べ物や色や音楽や香りなどがあったとき、

「○○が好き!」って、1日中24時間考えたりしませんよね?

大して意識しないと思います。

それでも、ふとしたときに食べたくなったり聴きたくなったり触れたくなったりする。

 

反対の「嫌い」についても、嫌いな事柄をいつも考えていないですよね?

いつも考えていたり、「好きにならなきゃ」と意識したとしたら、逆にどんどん嫌いになっていくと思います。

 

「好きかどうか」という気持ちは、固執するものではないと思います。

 

自分に対しても、そんな感じがちょうど良いのではないかと思っています。

 

健康を考えるときに、私が一番大事だと思っているのは「感情を肯定すること」です。

感情を否定することは、なぜか人格否定にも通じてしまうのですよね…。

 

ただ、怒ったり不安になったり過度に心配したり、そうした自分の感情を肯定したとしても、

そういう自分を一足飛びに「好き」にならなくていいと思っています。

 

「変わりたい」「変えたい」と思っていいですし、もちろん「変えたい」と思わなくてもいいと思います。

 

自分としては「嫌だな」と思う感情を抱いてしまう自分を「好きになれない」というところまで掘り下げて感じられたら素晴らしいと思います。

ただ、その手前の気づきまでで止めても充分な対処になっています。

 

「○○が不安なんだな」等と感情を認識できたら、そういう自分を好きか嫌いか等とまで考える必要はさほどないと思います。

 

それでいいと思っています。

 

 

自分というのは、自分ではなかなか好きになれないものだと私は思います。

 

自分を理解することは非常に大切だと思います。特に、症状などの苦しみになっている部分に関しては、理解するだけで治療的な効果があります。

 

ただ、好きになろうとまでしなくていいと思っています。

 

丸ごと肯定できなくていい

「自分を好きに」「ありのまま」「自己肯定感」という言葉から連想されるのは

「全体的に一括で同じように認めよう」という「全体感」をイメージします。

 

私は、物事は自分を含めていろいろな部分に分けていいと思います。

 

なんていうか、「丸ごと愛しましょう」みたいな考えに胡散臭さを感じてしまうのでしょうね、私は。(ひねくれ者w

 

話がズレますが、ロジャーズの「自己一致」という概念は、以前はなんとなくわかったような気がしていましたが、

今は「自己一致なんてないな」という見解に至っています笑。

また今後変わるかもしれませんが。

 

 

「本音」「本性」と言われることも、1つじゃなく、同じ人同じ事柄に複数存在すると思います。

 

「自分」という全てをどうこう思うより、

「居心地のよい自分」になれる状態はどういうときなのか、何をしているか誰と居るのか、

などの外的要因を見て、それを増やしていけるといいのかもしれません。

 

「自分を好きに」より、「嫌なことを減らす」「好きな事に触れる時間を増やす」方が、自然で有効だと思います。

 

ちなみに私は、「休みの日の前日に1人で好きな食べ物を買って帰って、録画したドラマを見る」ということが至極の楽しみでしたw

 

自分を好きとかより、「思いっきり寝る」とかを大事にし続けていければとっても良いと思います。

 

 

 

話がまるで変わって、余談になりますが、

2,3年前に、地元のカフェの隣の席で、5角形のグラフで示す性格診断みたいなことが繰り広げられていまして、

女性の2人組で1人が占う人(?)で、もう1人が受ける人みたいだったんですけど、

結果の5角形の性格分析の中に「スピリチュアルな力」という項目があったようで、

占う人が「スピリチュアルな力っていうのは、見えないものを信じる力」って言っていたことがものすごく印象に残って、

この記事の冒頭の例にもあげてしまいました。

 

 

見えないものを信じる力…。

 

 

精神科に勤めている心理士の立場としては、なかなかのパワーワードでした。

 

 

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ただ、「スピリチュアル」という言葉そのものは、非常に深い概念だと思いますし、どこか神秘的な響きがするのも分かります。

 

 

こんな感じで、何が言いたいのかよくわからない内容でしたが(汗)、今日は気楽に日記を書かせていただきました♪

 

こんな記事でも最後までお読みくださった方に、寝子がスピリチュアルパワーで雨に降られないように遠隔操作いたします笑

 

 

今日もお付き合いくださってありがとうございましたm(__)m

 

またのお越しをお待ちしております♪

 

 

 

 

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