前回、「ある性被害サバイバーに話58」で「父と会ってから具合が悪い」と書きましたが、
そのあと、持ち直すことなく3月中はありえない行動を繰り返してしまっていました・・・
それは過量服薬(オーバードース)です。
「ある性被害サバイバーの話12」など複数の記事で述べていますが、
私は精神疾患を発症し、心療内科や精神科に通院し始めた21歳から、
向精神薬中毒になり、その後大変な思いをしています。
加えて、私は体質的に薬の耐性がすぐに出来てしまうため、
飲めば飲むほど効かなくなる→量が増える→それでも効かなくて不安になる→不安に耐えられずさらに過量服薬する(ループ)
という悪循環になることを身に染みてわかっているので、20代のころに薬物依存を脱してからは全く飲んでいませんでした。
目次
不眠という根深い症状
20代以降は、通院すらしていないのになぜODできたのか。(薬が手元にあったのか)
実は去年から「オンライン受診」という便利なものができて、
電話診察だけで軽度な薬であればすぐ処方してくれるクリニックが出始めていたのです。
私は、不眠の症状は最もつらかった時期よりはかなり改善していました。
でも、ゼロになったわけではありませんでした。
基本的に毎晩「今日は眠れるだろうか」と不安であったし、
実際に眠れなければ、命に別状はないでしょうけど、具合は良くないものです。
それでも、「睡眠薬は少量では効かないし、多量に飲んでしまったら仕事に支障が出る」
と思って、不眠の症状があってもただひたすら我慢するという30代でした。
精神面での影響
私の不眠は「朝まで眠れない」というものなので、翌日の活動にも多少は影響します。
でも仕事であれば気持ちで保てるのでなんの影響もありません。
どちらかというと、体力面よりは精神的に「不眠にただ耐える」ことがすごくつらくなってしまっていたのです・・・
私にとって不眠は「寝ているときに襲われたから仕方ない」と理解はしつつ、
一方で「またあの酷かったころのように悪化していったらどうしよう」と不安を強めるものであったこと、
「トラウマはまだ治っていない」と意識させられるものであったこと、
さらには、私は不眠に対して薬以外の対処はほとんどすべて実行しているといってもいいと思っています。
生活リズムはもちろん、漢方薬、サプリメント、運動などなど。。。
それらは効果があったのか、今でもよくわかりません。
だから、「もう手立てがない」という心境になってるので、
「不眠」の症状が出ると、
「今日は眠れるだろうか」と思いながら有効な対処はとれない日々が続いていました。
去年の受診
今までも何度も「病院を受診して薬を出してもらおうか」と思いましたが、
上記の理由で結局は受診しないままでした。
でも、定期的にくる不眠に嫌気がさしている中で、ふと
「今の睡眠薬は20年前とは変わっている」
と思ったのです。
実際、20年前に比べたら今は依存性も離脱症状も出ない安全な薬がファースト選択され処方されるようになっています。
それで
「ただ耐えるだけでなく、不眠を今から治療しよう」
という気持ちになり、個人的なことはほとんど言わなくて済む「オンライン受診」を謳っているクリニックを受診し、
予想していた通りの睡眠薬を処方されるに至りました。
2月まで
それから2月までは、上手に薬を使っていました。
仕事の前日に飲んでも翌日残らないし、
それなりにちゃんと眠れて、
薬に助けられていました。
守っていた一線
私がこれまで受診しなかったのは、仕事のためでした。
20年前の薬物依存時の状態が心に残りすぎていて、
「薬を飲んだら翌日は起きても朦朧としてしまって頭が働かない」
という経験を何度もしていたので
「頭が働かないような状態になっては仕事にならない」
という意識から、薬に頼らず我慢してきました。
それなのに・・・
先月のこと
先月始めに父と会い、いつも通り不快になったものの、
これまでと変わらない内容だったと思います。
今まではストレスになれど、それで終わっていたのに、
今回は、父と会ったその日の夜、適量の睡眠導入剤を飲んでも眠れなかったことをきっかけに
ODしてしまいました。
止まらないOD
当初「これで終わるだろう」と、私はODにあまり危機感を持ちませんでした。
ちょうど週末だったし
(父と会うときはストレスが仕事に影響しないように「休日前」と決めています)
ODしたことで翌日は朦朧としていたとしても週明けまでに戻せると思っていました。
ところが、その翌日も、翌々日も連日過量服薬してしまったのです。
今までにない服薬
私は一番ひどかった20代のときでさえ、就寝前にしか飲みませんでした。
それは極めて強固な「眠ることに対する執着と不安」が苦しみの主だったので、
昼間に薬を飲んだら就寝前の服薬の効果が鈍ってしまうような気がしていたからです。
今はそのときほど酷い状態でもなければ、不眠そのものに対する不安や恐怖もかなり緩和されているのに、
(緩和されていたからなのか)
なんと、目が覚めるたびに薬を飲んで寝る
という私としては信じられない行動をとり始め、
夜中はもちろん、朝も昼間も夕方も、目が覚めてしまうとボンヤリした状態のままテキトーにたくさん薬を飲み、
また寝る、という行動を連日繰り返したのです。
どんな心境だったか
「とにかく起きていたくない」
「一定の意識レベルを保っていたくない」
という気持ちに占められていました。
もう少しすると
「誰も助けてくれない」
という思いも伴うようになっていました。
さらにその後
連日ODしても、「翌日朦朧として起きていても意識がはっきりしない」ということは1回くらいで、
すぐに効かなくなり、たくさん飲めば眠れはするけど普通に起きちゃうし、
薬の影響は翌日にはさほど残存していないようになりました。
その理由は、20年前の睡眠薬とは異なる薬であること、
20年前は睡眠薬だけでなく抗不安薬や抗うつ薬、抗精神病薬まで処方されていました。
一方で今回は睡眠導入剤だけです。
だからたくさん飲んでもその影響は昔ほど酷くないのだろうと考えています。
気持ちはおさまらない
とにかく「起きていたくない」「一定の通常の意識を保ちたくない」と思っていますから、
「処方以上に飲んでも翌日に響かないのはさすが最近の薬だよねー」
なんてポジティブには思わなかった。
何日たっても気持ちは回復していかないし、
「父親に会ったことがきっかけだった」とわかっても、
それがどうODに影響したのかわからなかったし、
「そういうことを考えてセルフケアすることもうんざりだ」
みたいなやや自暴自棄的な心情でした。
仕事
先に述べたように、前日にODしたせいで頭が通常レベルには働かない状態で仕事をするなんてことは、
許されないことです。
ただ、たまたま(というか、それがわかっていたからか)
3月は本当にたまたま職場の都合で臨床業務が通常よりも減り、他の仕事になっていました。
仕事は行っていましたし、さすがに平日は服薬しても適量にすぐに戻しました。
でも週末にかけては酷いものでした・・・。
経過
普通は「ツライ状態を改善したいので自分の状態がなんなのか観察し分析する」ことで落ち着いていくことができます。
けれど今回は先に述べたように「そういう対処を取ることも嫌だ」という心境になっていたので、
しばらく意図的に考えないようにしていました。
怒り
それでも、漠然としてはいても不快感はずっとあるので、がんばって観察しなくても、わかることはあり、20年ぶりに連日ODしてしまい、
それを引き起こしているトラウマ反応は何かといえば、
「怒り」なのだろうと、ぼんやり思っていました。
身体的なムカムカ感は、もしかしたら当時抑圧された怒りなのかも、と教科書通りの解釈をしながら、しばらく放っておきました。
わからない
3月始めから中旬になっても下旬になってもおさまらず、
「怒り」について「理不尽なことがまかり通るこの世に対する怒りもあるのだろうか」と検討したりしましたが、
この非常に強く深い憎しみや怨念は、「世界」に対するものではなく、
極めて個人的なものだろうと改めて認識しつつ、
でもそんなに何を怒っているのか、どうしたらいいのかはわからないままでした。
自己理解
私は他の記事でも強調しているように、
「トラウマケアは神経生物学的パーツアプローチが最も有効だ」と今は確信しています。
また、この療法は一人で行うことも可能であるため、
必ずしも専門家を見つけなければいけないということでもないことも大きな利点であると思っています。
なので、今回も、あまりやる気がなかったものの、
先月の後半になるころには「いい加減、なんとかしないと」と思うようにもなったので、
パーツアプローチ的に、内省をしてみました。
「怒り」の正体
「怒り」のパーツが「何を怒ってる?」と歩み寄ってみると、OD中にも自覚していた
「誰も助けてくれない」
「誰かに助けてほしい」
「でも誰も助けてくれない」
と言っており、「助けてもらえないことに怒ってる」と気づきました。
パーツアプローチに基づいているので、
「じゃあ今の私が助けろや」
ということに繋がります。
なので、「今の私が助けよう」と思うものの、本当にどうしていいかわからず、助けられる気がしませんでした。
余談ですが、パーツアプローチの弱点は「今の自分が助ける。安心させてあげる」という過程が、
言うほど簡単ではないというところだと患者さんたちを見てても痛感しています。
「今の私なんて頼りにならない」というのもトラウマ反応だとしても、
どんなに「酷い状況を生き抜いた」としても、
今の自分に説得力を持てないケースは少なくなく、
それは十分に理解できることでもあると感じています。
話戻りまして、「誰も助けてくれないと怒ってるパーツ」にどうしたらいいか。。
気づき
そうしているうちに突如
「末っ子のままなんだ!!」
と気づきました。
パーツアプローチとかではく、
普通に「誰も助けてくれない」って怒ってるパーツに、
内心「自分で何とかすれば?」というやや冷めた見方をしていて、
そうすると「なんでこの子は待ってるだけなんだろう?」というところから、
ああ!
私は兄妹で家庭内で最年少および最弱者だったので、
役割は機嫌を取ることや八つ当たりされることであったけど、
一方で
「自分より年少者がいるから自分はしっかりしなくては」
「小さい子を守ってあげたり教えてあげたりしなくては」
などの「助けるために動かないとならない」という意識はなかったんだと気づきました。
そうすると、小さいままで何もできず、自分から動くこともなく、ただじっと助けられるのを待っていて
助けてくれないことにじっとしたまま内心で怒りを溜めているパーツのイメージがクリアにできました。
回復へ
そう気づいたらスーっと不快感が消え、普通の意識になっていくのを感じました。
この場合、気づくだけでいいということはもちろん、
たとえ今の自分が「頼りにならない」と思っていても、
少なくとも「今はただじっと待つだけしかできない」状態ではないことは自分に自信があるなしにかかわらず、納得できます。
治療的な意味になる過程として最も大事なことは「見つけてあげること」です。
トラウマがあると、程度の差はあれ、ほとんど全てのケースに解離が認められます。
パーツアプローチでなくとも、
かつて生き延びるために「自分ではない」と切り離した感情や身体的感覚を見つけてあげることが、
トラウマの癒しにつながると思います。
私にとって「薬」とは
ただ、1か月間におよぶ約20年ぶりの連日のODの説明にはやや足りないですよね。
そこで、さらに少し内省を深めると、
「誰も助けてくれなかった中で薬だけが助けてくれた」
というまさにかつての体験がよみがえってきました。
原家族は助けないだけでなく、服薬などを責め立てて、私には有害にしかならなかった。
でも本当はもちろん、「助けてほしかった」相手は彼らだった。
その中で、本当に、薬はあの時を生きるために必要だったし、助けてくれた唯一のものだった。
他の「助け」を実感
そう気づく中で、芋ずる式に「薬だけ」に助けられたわけではなかったと気づきました。
「あのとき薬以外でどうしたかったのだろう?」と考えていると、
「助けてほしかった」がまず先に出てきましたが、ゆっくり深めると
「治療してほしかった」
のだという気持ちに気づきました。
当時はカウンセリングは出始めてはいたものの一般的ではなかったし、金銭的にもできなかった。
それでも無料のメールカウンセリングにトライしてみたり、
心療内科などの病院の受診は継続的にしていました。
結果として、当時の精神医療の限界のため、薬物依存になってしまったけれど、
それでも当時の通院先の医師との数分の診察は、
私にはささやかな救いだったのだと鮮明に感じられました。
今に根付いた意識
「だから私は医療機関を希望し続けて勤務し続けているんだ」と
今と過去の体験の繋がりを改めて実感しました。
残ったもの
本筋から離れることなのかもしれませんが、
「末っ子で、面倒を見る側にならず見てもらう側ばかりだった」ことに気づいたあと、
「でも私の中に“人の面倒を見る”“年長者が年少者を助けるような役目をする”という部分がなかったら、カウンセラーにはなっていない」
と思います。
「誰かの役に立ちたい」と思う部分は、もしかしたらまだ気づいていない何かがあるのかもしれないと思います。
「役割」
よく言う「自分が救われたいから」というのはそもそも役に立たない解釈だと考えているので却下(笑)しますが、
強いて言うと、原家族に認められなかったのかもしれないなとぼんやり振り返ったりしました。
ある程度大人になった後は、家事など一番やっていたのは私だったのに、
母は決して認めず、
外で「寝子はなんにもしないの。女の子なのに。お兄ちゃんのほうがなんでもやってくれるの」と言いふらしていましたので。
でも、もっと純粋なもののようにも思うのです。
ただシンプルに「お手伝いしたら褒められたかった」みたいなものだった。
でもそれが褒められないどころか無視され「何もしない子」と悪口を言われた。
だから、私は自分の中に自然にある「少しでも何かの誰かの役に立ちたい」という気持ちを安心して発揮できる場を求めたのかもしれません。
それが職業だった。
このあたりはまだ曖昧なので、いつかまた別の気づきがあるかもしれないなと思ったりしています。
その後
先月のまさに30日31日くらいに気づいて、今月に入ったら嘘みたいに元に戻りました。
でも、結局、父とはどうするのか、彼に会うことがトリガーになることは間違いがなく、
場合によっては先月のようになってしまう危険性があるなら、これまでより警戒心は強くなりますね。。。
また自分の様子をみていこうと思います。
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今月はもう少し更新できたならと思っています。
最後までお付き合いくださってありがとうございました(*^_^*)
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